婚活

婚活女性に限らず人間は天使にも悪魔にもなれる

本稿『婚活資本主義のオンナ考』の読者女性は、登場するオンナたちが極端な例ではないかという意見を持った。しかし、極端であるかにこそ実在するオンナをとりあげないわけにはいかなかった。あとは自分の頭で考えてくれればということである。

 

生き方はどちらを選ぶか本人次第だ

いや、彼女たちも日常的にはあるのかもしれないが、結婚相手に対する展望としてそれを重視する意気込みを感じなかった。

 

たびたび書いているが、相手の「額面」で機械的に価値を判定したり、相手からのサービス具合いを値踏みする選び方だった。

 

婚活が人を変えてしまうのだろうか。

 

前出のように、二股掛けをしないと交際相手の評価ができないオンナがいるかと思えば、この読者のように相手に対する自分自身の信頼感を大切にする人もいる。

 

どちらも実在の女性である。

 

人間は天使にも悪魔にもなれるというが、心の豊かな女性とトホホオンナの分水嶺というのもそんなもんなのだろう。

 

どっちの生き方が幸せなのか。

 

これは価値観の問題でもあるが、やはり特別な思惑や目標がない限り、愛し愛され、厚い相互信頼の関係にあった方がいいだろう。

 

しかし、そんな彼女にも、ひとつだけ言っておきたいことがある。

 

「極端な例」ではないし「少数派」も切り捨てるつもりはない

「もうひとつ、先にも書きましたが、出てくるオンナたちがあまりにも『トホホ』すぎる、極端な例じゃないでしょうか。『結婚相談所』の会員がみんなこうというわけじゃないでしょうが、少なくとも、ある一つの傾向はあると思います。それは、結婚を条件で決めがちであること。けど、それって世の中全体から言えば、少数派なのではないでしょうか。まあ、わかりませんけどね」

 

婚活に熱中する彼女たちがけして「極端」な人間でないことは前にも述べた。

 

ここではそれに加えて、女性の啓蒙の方法についても触れておこう。

 

これまでの女性問題ものというと、とかく女性を美化し肯定的に取り上げ、男性の無理解をこきおろし、それをもとに全体を啓蒙するというやり方だった。

 

そういうやり方も否定はしないが、それは彼女のいう「少数派」たちの存在や苦悩やその原因を、巧妙に切り捨てているのではないだろうか。

 

それは結局、トホホオンナを見下げ無視していることになりはしないだろうか。

 

トホホの要素があろうがなかろうが、みんな同じ女性じゃないか。本稿はそういったシカトに批判的である。

 

そもそも、人は他人事には冷静でいられる。「極端」に見えることでも、もしそれが当事者だったらどうだろうか。実は紙一重という事だって少なくない。

 

どんな女性でも、何かの判断違いでトホホオンナになってしまうことがないとはいえない。

 

人間はまちがいうる存在のなのだ。だが、まちがったらその都度学べばいいのだ。他人事だと済まして、いったい何の教訓になるというのだ。

 

開かれた(しかも男女平等の)真に民主的な社会であるなら、たとえ少数だろうが極端だろうが、何らかのサジェストを発信してみんなで知恵を出し合ってもいいのではないか。

 

あとはその人たちが自分の頭で考えてくれれば、ということである。それは結局、全女性にとっても、両性の相互信頼の道筋としても大道にたてるものではないか。本稿はそんなふうに考えている。

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