選択的夫婦別姓が話題ですが……
選択的夫婦別姓がかまびすしい。「国際基準である選択的夫婦別姓の実現」と叫んでいた人は落選しましたが、政権交代の公約として、このコロナ禍とデフレの時代に、選択的夫婦別姓を掲げていたお気楽な政党もあるほどです。でも、その制度、ちょっとおかしいですよ。
選択的夫婦別姓は矛盾した現行制度からも後退
選択的夫婦別姓が話題です。
今はコロナ禍で大変なときなのに、それを政権交代の公約に掲げる勘違い政党もあるぐらいです。
もっとも、その政党は比例を大量に減らして結党した代表が辞任に追い込まれましたが……。
それはともかくとして、まず私のポジショを述べると、私は家制度断固否定派です。
だから、現民法が家制度から家族制度に変わったにもかかわらず、家制度時代の残り滓を感じる現行制度には賛成できません。
私自身は、男性だが姓(の読み)を変更しています。
そのために、保険証、キャッシュカード等、様々な個人情報変更の手間も経験しています。
そんな立場ではありますが、選択的夫婦別姓は矛盾した、むしろ、現行制度からも後退したデタラメ法案だと思っています。
繰り返しますが、私は保守ではないし、絶対に保守にはならない立場です。
が、保守である自由民主党の西田昌司参議院議員の意見は傾聴に値すると思います。
たしかに、別姓推進の「理由」には矛盾を指摘できますな 「恐るべき動機と思想…選択的夫婦別姓に賛成してはいけない理由」西田昌司がズバッと答える一問一答おまけ【週刊西田】 https://t.co/4O4rjtnd39 @YouTubeより
— 肝っ玉おっつぁん@手相鑑定はじめました (@kimootthan) December 11, 2021
言われていることは、要するに選択的夫婦別姓は戸籍制度や家制度の崩壊を目指すものですが、一般の女性がそれを求める理由は、「私も『家』を守りたい」という正反対のものです。
佐藤という男性と、鈴木という女性が結婚したら、たいていは佐藤で新しい戸籍を作る。
これについて、自分の「鈴木家」がなくなるのは寂しい、そっちも残してくれ、というわけです。
だから、矛盾しているというのです。
しかし、それは選択的夫婦別姓にしたところで、その人まではいいとして、子孫の代までも保証されるものではなく、つまり子供が「佐藤がいい」といったそれまでのこと。
さすれば、家を残すために選択的夫婦別姓をよしとする理由にはならない。
また、改姓は、仕事などに支障をきたす場合があるが、現行制度支持派は旧姓使用の拡大を求め、法制化も考えている。
西田昌司議員は、そう述べています。
保守ではない私は、本来全く違う立場(家制度否定派)ですが、矛盾の指摘は全面的に賛成します。
そして、私は家父長、長男第一主義といった家制度というルールは断固否定しまするが、戸籍制度は否定しません。
姓に対する意見に関係なく、する必要がないからです。
だって、先祖がいて自分がいるのは真実。
戸籍はそれを裏付けてくれる貴重な記録であり、別に否定しなければならない理由はありません。
むしろ、大切なものでしょう。
はっきりいえば、そこまで在日・帰化人に遠慮する必要があるのか、と思います。
姓は自由であるべき
では、家制度も否定、選択的夫婦別姓も批判する私は、どうだといいと思うか。
今は、家制度から家族制度になりました。
親子でも、子が結婚すれば別戸籍を新たに作る。
そういう時代です。
だから、佐藤と鈴木が結婚したら、新しい戸籍は佐藤でも鈴木でも、さらにいえば高橋を名乗ってもいいという「選択的」夫婦別姓なら賛成します 。
もしそれが無原則というのなら、たとえば先祖の旧姓ならOKというふうに限定すればいい。
たとえば、私の曽祖父は中下級武士で、有力庄屋の曾祖母の「家」に婿養子に入りました。
高祖父も、その父も、同じような理由で私の直系の「家」の婿養子になりました。
つまり、私の先祖は、3代続けて男性は別の「家」の者でした。
私は別に「家」を守りたいなんてサラサラ思っていませんが、とくに曽祖父については個人的に尊敬しています。
できるなら養子になって、その人の姓は継ぎたいと思っています。
しかし、私がいくら曽祖父や高祖父を尊敬しても、亡くなった人の養子にはなれません。
さすれば、婚姻して新しく作った戸籍には、曽祖父や高祖父など、自分の先祖の姓なら名のれるようにしてほしいのです。
どうでしょうね、この考えは。