観光に毛の生えた「留学」やマナーもテーマもない「海外旅行」
ビートたけしが批判するのは観光に毛の生えた「留学」やマナーもテーマもない「海外旅行」に熱中する若い女性である。目的をもって行ってるわけではないから何を得たというわけではない。この点におけるビートたけしの批判は異彩を放って面白い。
海外旅行に行くことが「人並み」なのか
映画監督としても賞を取り、報道番組でキャスターまで努めるなど文化人路線まっしぐらのビートたけしは、観光に毛の生えた「留学」や、マナーもテーマもない「海外旅行」に熱中する若い女性に批判的である。
それは「海外通」であれば国際的であるかのような皮相的な世間の人々の「馬鹿さ加減」に対する痛烈な「毒ガス」である。
中には「旅行に行くのは自由。いちいち大義名分がいるのか」と反発する人もいるかもしれない。
だが、私個人はこの「お説教」を必ずしも一笑に付すものとは思えない事例を知っている。
ある婚活中の女性・28歳の鉄鋼会社のOLは、商業高校を卒業後すぐに就職した。
彼女は「家庭の事情」で大学に行けない(しかも彼女の妹は大学に行った)自分の立場に不満を持っていた。
しかし、だからといってこれから大学に入ろうという努力の覚悟はなかった。
「家庭の事情」は自己弁護の口実のようにも思える。
とにかくそうした不満の代償行為と責任転嫁のハケ口として、そして大学に行けない自分でも「人並み」になれるというコンプレックスによる流行志向から、海外旅行に趣味の領域を越すこだわりをもった。
「何回でも物に憑かれたように行」くことで自己確認とした。
が、目的をもって行ってるわけではないから何を得たというわけではない。
結局アルバムの冊数が増えているだけである。
行くのは確かに自由だ。
わずかな有給を使ってのレジャーだ。
対外的にも自分にも「大義名分」を用意することもない。大いに楽しんだらいい。
だが、行ったことで「自分探し」をしたい婚活中の女性・28歳さんの目的は達成できないことも確かだ。
そもそも行って「人並み」になるという目論見じたい正しいのだろうか。
それで「人並み」になることに何の意味があるのか。
「国際化社会」という国策と流行にうすっぺらい迎合と探せっこない「自分探し」をしているだけではないか。
行った回数だけで「海外通」と思い上がった彼女が、本当に大切な「国際連帯」という視点を見落とす危険性はないだろうか。
一般の若い女性・婚活中の女性にもこの問題は提起できるだろう。
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「みんなで渡」ってしまう弱さと無邪気さと無知は無視できない
たけしは、女性に限らず、男性も含めて日本人全体に対してこの迎合的「馬鹿」批判の論調を貫いている。
「消費税でも何でも、導入される時はワーワー騒ぐけど、決まっちゃったら『しょうがない』」
「過去はみんなさよならなんだ。リクルートだってあれだけ大騒ぎしたのに、それで大蔵大臣やめた奴が、堂々と総理大臣やっている。・みそぎ・をやりましたなんて平気で言う。それを聞くと、情けない話だけど、みんなそうかな、しょうがねえかなと思っちゃう」
「しょうがねえかな」と思っていなかったとしても、これまで多くの「みそぎ」候補者が有権者の投票で実際に当選してきた。
ビートたけしの有権者無自覚批判は無根拠ではない。
「みんなで渡」ってしまう弱さと無邪気さと無知は無視できないのである。
そうした点に限っていえば、ビートたけしの真の意図や自覚がどうかは別として、そして様々な表明の根拠としての事実誤認も多々見受けられるのだが、人間の非自覚的自我に対する着眼点じたいを否定することはないだろう。
建前と虚飾を美学とすら位置づける我が国の曖昧なコミュニケーションにおいては、個人的には毒舌やこきおろしというレトリックは、異彩を放って面白いとすら思っている。だが……
(この項つづく)