有名な学校に入っている人こそが優秀なんだと本気で信じている
人間は自らの価値観で判断し、人生行路を選択することがもっとも幸せな生き方である。だから人の結婚観を頭から独断で否定するつもりは毛頭ない。ただし、その論理が客観的におかしければ、事実と道理でそこに疑問符をつけることは間違っていないだろう。
まずは、父親が町工場を営む家庭の三女の話である。
青木雄二という漫画家の『ナニワ金融道』(講談社)が売れている。
1996年2月にはテレビドラマ化もされた。
その勢いで、KKベストセラーズの『ゼニの人間学』という啓蒙書も人気がある。
バブル経済で頂点に達した拝金主義と、そこで退廃した人々の精神をいましめていてかなり面白い。
電波芸者といわれるタレント文化人たちのような、勉強不足で、なおかつ見せかけだけの「本音」ではなく、社会の仕組みや退廃した人民の変革をうながす本音になっているのが出色だ。
圧巻は「神は人間による創造」「『在る』と『思う』は違う」「唯物論か観念論かはっきりしろ」など、唯物弁証法哲学の啓蒙をわかりやすく書いていることだ。
「共産主義社会は競争がないからだめだ」論がまやかしであることも、喫茶店の砂糖を例にとって、たった数行で鮮やかに説明している。
本職の哲学者の啓蒙書とはひと味違った手練(てだ)れだと思う。
婚活の話に入ろう。
今回は「三高」の学歴の部分と結んで注目させていただきたい。
このすばらしい手練れをみせる青木さんの学歴は工業高校卒となっている。
哲学科でも文学科でもない。
高等教育は受けていなくても、『罪と罰』や『共産党宣言』などを読み、社会と人間を社会法則と個々の価値観の両面から独学で学んでいったというわけである。
人間の努力や自覚をあなどってはならないというのは、青木さんのような人の実践によって証明されているといえる。
人間は自覚的に努力することによって認識を進めることができる。
誰であろうが、学歴がどうであろうが、いくつになろうが、人間は学んで発展しうる生き物なのだ。だから人間には価値があるのだ。
だから素晴らしいのだ。
さて、結婚相談所で婚活にいそしむオンナ会員は「三高」を狙うと書いたが、世の「三高」狙いのオンナには、実はふた通りある。
ひとつは、出身学校で人間は判断できないとちゃんとわかっていながらも、世間体でつい気にしてしまうタイプ。
もうひとつは、有名な学校に入っている人こそが優秀なんだと、本気で信じている世間知らずのタイプだ。この場合、後者の方がより深刻だろう。
前者は単に処世術や価値観の問題だから、その限りにおいてはいちがいにどうこうはいえない。
しかし、後者は人間理解ができていないという点で、客観的に見ても正真正銘の札付きのトホホ者だからである。
ここではそちらに触れておこう。
婚活にいそしむ際、是非心しておいていただきたいものだ。
中小企業の経営者の家庭に育った三女
電気部品製造業者の三女(28)は、わずかに知っている東大卒者や世間の評価に根ざした先入観から「東大出(こそ)は頭の回転がはやい人」という見定めを持っていた。
お見合いをしても、「東大出の公務員」ないしは「東大出の銀行員」といったものがつねにモデルとして頭にあり、交際相手の人柄の実際に関係なく相手が東大を出ていないと、それだけで話が流れてしまうのである。
この婚活は困難を極めそうだ。
三女には二人の姉がいるが、どちらも中学で私立に受験し四年制大を出ている。
彼女も有名私立中学に入学したが、大学は落ちて無名の短大におちついた。
中小企業の経営者の家庭というのは、カネや職業や学歴に対してシビアでどん欲な場合が往々にしてある。
それも単に金持ちがいいというのではなく、自分が苦労してきただけに安定していると思われる職業やそれにつながる学歴に対するこだわりが異常なほど強いのだ。
それが子育てにも反映される。
彼女の家庭がそうだとは断定はできない。しかし、少なくとも彼女に「東大出の堅い職業の王子様」を求める面があることだけは間違いなかった。
そんな女が婚活をしているわけだ。
しかも彼女はずっと女子校で学園生活を過ごしたために、生きた多くの男性とのコミュニケーションの中で男性の価値観を自覚的に再構成する機会を得られなかった。
そんな状態で婚活をし、「見合い販売業」の結婚相談所になだれ込んだのである。
三女は、28歳で恋愛らしい恋愛もないバージンだという。
学歴や職業という条件を通してしか人間評価ができず、その結果28になるまで誰も愛せず、またそういう点を見透かされて誰にも愛されたこともないからである。
彼女自身は、自分が「東大出シンドローム」であることを意識的に否定し、あえて東大出ではない人を選んで積極的に見合いをした。
しかし、結果としてそれは実っていない。婚活の本質が分かっていない。
その時々で相手をノーという見かけの理由はいろいろあるが、いずれもその奥底にある「東大出の堅い職業シンドローム」が疼くのである。
いわずもがなだが、何を基準で語るとしても「頭の回転がはやい」かどうかは、その人自身を判定しなければわかるものではない。
出身大学名だけで判断できないことはる説を要しないだろう。
ところが彼女の理屈では、東大を出ていない人が「頭の回転がはや」くてはいけないことになってしまうわけだ。
東大だろうが地方の無名の私立大であろうが高卒だろうが、「頭の回転がはやい」人とそうでない人がいる。
どんな会社だろうが学園だろうが、組織というのはいろいろな人が集まって構成されている。
その組織がどんな選考方法をとったとしても、しょせん人間評価に完全無欠の客観的レーティングなどははじめっから不可能であるし、また人間は日々たえまなく発展によって個々が変化しているからである。
では大学を出ているか出ていないか、もしくは出ていても有名ブランドかそうでないかという違いは何なのか。
ひっきょう、それが将来「エリート」路線での可能性をもたせてくれかどうかを分けるのである。
人間本来が持つ魅力、つまり発展の力についての判定ではないのだ。そうでなかったら冒頭の青木雄二のような人は説明がつくまい。
彼女はいったんはお見合いを申し込んでも、実際に相手とお見合いをすると、結局は前に書いたような拒絶反応を起こす。
その時の相手に対する言いぐさがこうだというのである。
「そのときはメランコリックな気持ちになっていたの。どうかしてただけ。今は違う気持ち」
彼女は自分の理想の男性像が確立されていない。
よってたつ自覚的な価値観がないから、「東大」という「額面」による値踏みを捨てきれないのである。
そしてまた男を捜し求める「野良犬」婚活生活を続ける。
これは「三高」オンナの共通した泣き所でもある。
そうした問題点から逃げずに自分のトホホさ加減を克服しない限り、「メランコリックに男取り替え病」は治らない。