オンナは馬鹿なんだからすっこんでろというロジック
ビートたけしは、オンナは馬鹿なんだからすっこんでろというロジックを振り回している。オンナはオトコより劣るから、分をわきまえてそれなりに「オンナらしく」生きなさいという書き方も、もうたけしの著書には見飽きるほど書かれている。
民主主義を批判する反動思想
だからといって、私はビートたけし説に「賛」というわけではない。
批判の対象や批判点は正しいが、その根拠は賛成できないのだ。
婚活中の男性・女性諸氏も考えて欲しい。
「狙いや理由」の点でその立場にはない。
ビートたけしは「(民主主義を前提とした)建前先行の中身なし」人間の「弱さ」に着眼すると書いたが、その行き着く先が問題なのである。
もし私がたけしと同じように「弱さ」に言及するなら、民主主義を「建前」だけでなく実質的に実現するために知恵を絞り、その克服を呼びかける結論となるだろう。
ところがたけしは、世間の人々は「建前先行の中身なし」の「馬鹿」だから、そもそも民主主義なんか扱えるようなご立派な人間ではないと、「弱さ」を理由に「建前」そのものをあきらめさせようとするのである。
最初から平等なんか考えずに「分相応」に生きる「勇気あるあきらめ方」が人生には肝要なのだという。
「圧倒的な金持ちがいたっていい。金持ちは金持ちのところに生まれてできることをやればいい」
「やっぱりサラリーマンは家は要らないとか、家は買わないと、そういうふうにみんなが思えば、土地の値段も下がってくるんだよ」
この「ダメな奴はすっこんでろ」の論理で、オンナはオトコより劣るから、それなりに「オンナらしく」生きなさいという書き方も、もうたけしの著書には見飽きるほど書かれている。
思想信条の自由はあるが……
ビートたけしは結論として、社会の階級はあった方がいいといっている。
「分相応」の「分」に対する整合性や必然性があるかどうかという大事な点にはいっさい言及せず、個々の人間の「未熟」さを口実に階級を正当化する保守思想におさまっているのである。
「建前先行の中身なし」の「馬鹿」だからすっこんでろということである。
ビートたけしがそうした世界観をもつことは全く自由だ。
思想信条の自由というやつだ。
そしてテレビで「オイラはこう思う」とやっても、それは言論の自由の広場で問うべきことで表明じたいへの否定はできない。
ただ、ここでハッキリしておきたいのは、そうした表明が公共の電波や活字で行われる以上、単なる主観のばらまきだけでなく客観的な評価にもさらされなければならないということである。
婚活中の男性・女性諸氏、どうだろうか。
たけしは現代の資本主義社会の荒廃と結んでこんなことも書いている(『顔面麻痺』新潮社)。
「しかし、他人の不幸を糧にして生きてるヤツがいっぱいいるわけだよ。だからオレは共産主義は理想的宗教だと思ってるけど、共産主義の考え方は間違いじゃないと思っているんだ。
問題は、そういう立派な道具を扱えないってことだよ、人間が。馬鹿な人間が敗北したのであって、共産主義が敗北したのではない」
いや、問題なのは、その先なのではないか。
(この項つづく)